akane
2018/11/21
akane
2018/11/21
ふつうモノクロでしか見ることのできない昭和30年代の日本を、カラー写真で記録していた人物がいた。
アメリカ出身、日本と日本の鉄道をこよなく愛する、元祖「カラー撮り鉄」、J・ウォーリー・ヒギンズ氏。
1956年に、初来日。’58年に本格的に来日以降、日本に在住。国鉄の顧問を務め、日本全国をくまなく巡りながら、趣味の鉄道写真を中心に、当時としては超贅沢なカラーフィルムで日本の風景を多数撮影してきた。
そんなヒギンズ氏が、このたび出版した『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』から、いくつかの写真と、それにまつわる思い出話をご紹介する。
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日本に来て何が印象的だったかというと、都心に都会らしい賑わいがあったことだ。東京、特に、人があふれる銀座は、日曜日は買い物客でごった返し、夜は夜でネオンが灯り、人々が集って賑わう、とにかく活気あふれる魅力的な場所だった。
僕が日本に来た頃のアメリカでは、人々が、駐車する場所の確保できる郊外へと流出し、店やレストラン、映画館などの娯楽施設が、駐車場つきの広い場所を確保するべく、郊外へと移転していった。
また、仕事を終えると人々も郊外の家へと戻ってしまう。そうした状況の中で、いわゆる大都会の活気が失われつつあったのが、50年代のアメリカだった。
そのせいだろうか、東京、中でも銀座・日本橋界隈の賑わいが、僕の目にはとても新鮮で魅力的に映ったものだった。
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