akane
2019/11/19
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2019/11/19
「死にたい、もう、この世から消えて無くなってしまいたい——」
かつて球界を代表するスラッガーだった清原和博氏。しかし、2008年の現役引退後、彼を待ち受けていたのは、まばゆいカクテル光線の照らすスタジアムとは対照的な、真っ暗な闇の世界だった。
2016年2月に覚醒剤取締法違反で逮捕され、懲役2年6カ月、執行猶予4年の有罪判決を受ける。
逮捕のそのときから薬物を絶った清原氏。しかし、彼を覆う闇が晴れることはなかったという。
「あのころも、僕はまだ、真っ暗な闇の中にいたのです。逮捕後も、何も見えない、何も手につかない、何もやる気が起きない。そんな長い、長い一日が、何日も、何日もずっと続いていく……。自分がこの世に存在していることすら否定しながら、光なんてまったく見えない暗闇の中で、気づけば『死にたい、死んでしまいたい』と絞り出すようにつぶやいている、そんな毎日を、僕は送っていたのです」
清原氏を襲っていたのは、強い薬物への欲求、そして重度の鬱病だった。薬物依存症の治療のため、いまも彼が通う専門医はこのように説明したという。
「薬物に依存していた人がそれを断つと、反動で鬱病にかかりやすい。そして、清原さんが使用していた覚醒剤の量は、普通の人ならばとっくにあの世にいっている=致死量でした。つまり、それほどの重い依存症で、さらに現在は、同様に思い鬱病を患っています」
そんな、過酷で辛い毎日が続くなかで、藁にもすがる思いで清原氏が頼ったのが、神奈川・藤沢にある「示現寺」の住職・鈴木泰堂氏でした。
「週刊誌が僕の薬物疑惑を報じる少し前に、知人の紹介でお目にかかりました。でも、じつを言うと、そのときのことは、ほとんど覚えていません。薬物の影響で当時の記憶はまだらにしか残っていないのです」
初対面の印象を「ほとんど覚えていない」と話す清原氏。ただ、唯一記憶にあったのが、鈴木氏のこんな言葉だった。
「この先、僕はいつでも、どんなときでも、同じ場所に綱を垂らして待っています。清原さんご自身が、心の底からその気になって、その綱をつかんでくれたなら、僕は精一杯の力を振り絞って引き上げてみせますからね」
清原氏は昨年春、鈴木氏のその言葉だけを頼りに電話をかける。その一本の電話から、清原氏の再生の道のりが始まったのだった。
二人は来月、その道のりを記録した対談集『魂問答』(光文社より12月19日発売予定)を上梓する。
清原氏は言う。
「泰堂さんから教わる仏の道を光の道標としながら、僕・清原和博が暗闇のなか、再び歩み始めたプロセスを記録したものです。まだまだ、道半ばではありますが、その道程を包み隠さずお伝えすることで、僕と同じように悩み、苦しんでいる人たちの一助になればと思っています」
『魂問答』
清原和博・ 鈴木泰堂 /著
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