ryomiyagi
2019/12/25
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2019/12/25
※本稿は韓国で2017年に刊行され、150万部以上を売上げて社会現象ともなったイ・ギジュのエッセイ集『言葉の温度』から抜粋・再編集したものです。
こんな日がある。口を閉じることができず、舌を隠すことのできない日、唇の筋肉を少しゆるめなくては気がすまない日。
そんな日には、心の片隅で驕りが毒蛇のようにのたうち回っている。自分が吐き出す言葉を合理化するため、嘘を交える。相手の言葉より自分の言葉が大事なので、相手の言葉尻を捕らえたり、話の腰を折ったりする頻度も高まる。
必要以上に言葉数が多くなる、いわゆる「多言症」がぶり返すと、慶尚北道醴泉(キョンサンプクトイェチョン)郡にある「言塚」、つまり言葉(マル)の墓(ムドム)のことを思い起こす。走る馬(マル)ではなく、口から出る言葉(マル)を埋めた古墳だ。
言塚は一言で言うと、沈黙の象徴だ。
村に何か騒動が起こるたび、村人たちは言塚に集まる。そして「こんなことを言うと気を悪くするかもしれないが……」とか、「お宅のことが心配で言うのだが……」で始まる、隣人を非難する言葉を、まとめて穴に埋め、それ以上言わないようにしたのだった。つまり言葉の葬式というわけだが、すると不思議なことに、いさかいや口げんかがすっと収まったという。
私たちはつねに、何を言うかに気を取られて生きている。しかし何を言うかよりも、いかに言うかが重要であり、いかに言うかよりも、時には何を言わないかが、いっそう重要なのだ。口をつぐむことを学ばなくては、うまく話すこともできないのかもしれない。
だから時々、自分の言葉の総量について考えてみる。多言が失言につながる近道ともなるという事実を忘れないようにする。
そして、たまに胸に手を当てて自問してみる。言葉の墓に埋めるべき言葉を、大切な人の胸に埋めて生きているのではないかと……。
イ・ギジュ(李起周)
作家。成均館大学卒業。ソウル経済新聞などで社会部・経済部・政治部記者として勤務した。文章を書き、本を作る。使い捨てられ、消えていく言葉ついて書く。心をかきみだす言葉と文章に耽溺する。ときおり母親の化粧台に花を供える。著書に、『言語の品格』『言葉の温度』『一時大切だったもの』などがあり、累計発行部数200万部を超える。
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