akane
2020/03/28
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2020/03/28
『雲を紡ぐ』
文藝春秋
ホームスパン(homespun)。これはイギリスの家庭で作られていた布のこと。羊毛を手で洗い、紡いで、染めて、織り上げます。
伊吹有喜さんの新作はこのホームスパンをモチーフに、成長と再生を描く長編小説です。
「子どものころ、両親の生まれた地域の特産を調べる宿題があり、同級生が“岩手ホームスパン”について話したんです。そのとき初めてこの言葉を聞き、“岩手”と“ホームスパン”というカタカナ語が一つになっているのが新鮮で印象に残っていました。
その後、戦前の記録を読み“おしゃれな文化人はホームスパンの上着を着ている”という表現がよく出てくることに気づきました。戦前戦中戦後から高度経済成長期くらいまでは“ホームスパン=おしゃれ”という感じだったんですね。それで調べたところ、イギリスで誕生した手紡ぎ手染め手織りの布のことで、明治時代に日本に入ったと知りました」
現在では、岩手県盛岡市に工房がいくつかあるとわかり取材に行った伊吹さん。頬をほんのり紅潮させ、そのときの感動を熱く語ります。
「実際に触らせてもらったホームスパンは本当に柔らかくてふわふわしていて温かくて。時間がたてばたつほど柔らかさを増し、熟成し育っていく布で、着れば着るほど軽くなっていくんだそうです。だから、親子孫の3世代で着られる“時を超える布”なんですね。素敵だと思いました。私は時代を超えても古びず、より輝くものに尊敬と憧れがあるんです。
盛岡でホームスパンが根づいたのも、もともと麻などの織り手がいたことと国策で羊を飼いだしたことがあり、これは日本の近代のモノづくりの原点だと気づきました。それで“時を超えるもの”として、登場人物たち3世代の心の糸の物語と、日本のモノづくりの根幹にある誠実さや丁寧さ、作り手の気概を描けたらと考えたんです」
物語は、いじめのせいで不登校になった美緒、美緒の気持ちがわからない母・真紀、家庭に居場所がないと感じる父・広志を軸に進みます。美緒は祖父母からもらった赤いホームスパンのショールを大切にしていて、それにくるまることでつらい日々に耐えていました。しかし、中学校教師の真紀は美緒のことが歯がゆく、つい厳しく当たっては後悔します。そんな母を美緒は恐れ、本音が言えません。ある日、美緒はショールの件で母とぶつかり、ホームスパン工房を経営する祖父・紘治郎のもとに家出します。しかし、父・広志と紘治郎の関係も悪く……。
「美緒も真紀も広志も、みな家族にわかってもらえないと孤独感を募らせます。真紀は家族にボールを投げても返してもらえない。広志は真紀の寂しさや自分の父親や母親の気持ちに気づけない。紘治郎も若いときは妻や息子・広志をいたわれなかった。家族で、しかも同性だからこそ遠慮がなく、ぶつかったりすれ違ったりすることはあります。私も書きながら身につまされることが多々ありました。工房で羊毛から糸を紡がせてもらったのですが、これが難しくて何度やってもすぐに切れてしまいます。でも、切れたらまたそこから糸をよって紡ぎ直すんです。人間関係も同じではないでしょうか。人が誰かと一緒にいられる時間なんてほんとに短い。家族が家族でいられる時間だって短いのです。切れたと思う心の糸も、気持ちさえあれば再びつなげることはできるはず。その繰り返しが実は家族の歴史なのかもしれません」
登場人物たちが発する言葉の一つひとつを心身に刻みながら読み進め、読後は春の光に包まれたような温かな余韻が続く傑作です。
おすすめの1冊
『イギリスのお話はおいしい。』
白泉社
「『ピーターラビット』や『不思議の国のアリス』『メアリー・ポピンズ』などイギリスの物語に出てくるお茶やお菓子を紹介している本。写真はきれいだし、児童文学の一節も出てきて読んでいて楽しい一冊です。」
PROFILE
いぶき・ゆき◎’69年三重県生まれ。’08年『風待ちのひと』でポプラ社小説大賞特別賞を受賞しデビュー。『四十九日のレシピ』『ミッドナイト・バス』は映画化され、注目を集めた。主な著書に『カンパニー』『なでし子物語』『BAR 追分』『彼方の友へ』など。
聞き手/品川裕香
しながわ・ゆか◎フリー編集者・教育ジャーナリスト。’03年より『女性自身』の書評欄担当。著書は「若い人に贈る読書のすすめ2014」(読書推進運動協議会)の一冊に選ばれた『「働く」ために必要なこと』(筑摩書房)ほか多数。
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