ryomiyagi
2020/05/11
ryomiyagi
2020/05/11
三代達也31歳。神奈川県川崎市在住。茨城県日立市出身。
18歳の時にバイク事故で首の骨を折り、頸髄損傷。それから13年間、手も足も不自由なまま車椅子生活を送っている。
そんな僕は、2018年5月に「世界一周から帰国した男」としてメディアに多く取り上げていただいた。
悲惨なバイク事故から、どうして世界一周なのか?
そして、なぜアフリカ縦断の旅に至ったかの経緯を簡単に説明したい。
事故に遭ってから2年間は、病院のベッドの上で入院生活を送った。どん底だった。入院していた病院の階段から下を見下ろし、「ここから落ちたら死ねるかなぁ〜」とか本気でつぶやく毎日。
しかし、入院生活中に出会った一人のおじさんとの出会いが僕の人生を変えた。
彼は僕に、たくさんのチャンスを与えてくれた。
0から1、1から5と、少しずつやれることを増やしていこうと僕を勇気づけ、挑戦と行動の大切さを教えてくれた。
そのおかげで、退院後は実家で引きこもるつもりだったのが東京で一人暮らしを始め、会社員となって仕事を始め、海外旅行を経験するまでになった。
何事も自分次第。
一歩踏み出すことによって、世界は良い方向に進んでいく。
こう思えるようになってから、挑戦と行動がクセになっていった。
海外旅行にのめり込んでから世界一周を成し遂げるまでの経緯は、すべて説明するには時間がかかる。一言で言うと、
「どんな人にも、旅を楽しんでもらいたい」
という思いを持って、海外のバリアフリー事情のリポートも交えながら、旅行記を書いて発信した。
そして、世界一周を2018年5月に終えた。
この体験を『No Rain,No Rainbow 一度死んだ僕の、車いす世界一周』という本にまとめ、上梓した。
ところが、この270日間の世界一周旅行には大きな心残りがあった。
様々なアクシンデントに見舞われて、予定していたアフリカ行きを断念していたのだ。
旅の講演をしながら、そして様々なメディアのインタビューに答えながら、
「本当はアフリカ行ってないんだけどな……」
という一言が、いつも脳内をぐるぐる回っていた。
このアフリカへの想いは、日に日に強くなっていった。
1年半も間を空けてしまったが、やはり完結せねば。
そう思い立ち、世界一周の時にもお世話になったエイチ・アイ・エス ユニバーサルツーリズムデスクの薄井さん、世界一周旅行デスクの平野さんと2年半ぶりにチームを組み、アフリカ旅行の計画を組み立て始めた。
まず期間はどうする?
どこの国に行きたいか?
予算は?
期間に関しては、仕事と調整した上で3週間を確保した。
そこから行きたい国を選ぶ。
そもそも3週間で、どこまで回れるのだろうか?
1カ国目、まずどうしても行きたい国はエジプト。
死ぬ前に一度ピラミッドを生で見てみたかった。
ピラミッドってバリアフリーなのかな?これもかなり興味があった。
2カ国目、本物のサファリを経験してみたかったのでケニア。
夕暮れを背景に歩く象の群れ、紅く染まる大地とキリマンジャロ……。
想像しただけでパワーがみなぎってくる。
3カ国目、世界三大名瀑の一つであるヴィクトリアの滝があるジンバブエ。
アルゼンチンでイグアスの滝を見た時に、「滝ヤベぇ!」っていうのは実感済みなので即決。
4カ国目、南アフリカ共和国
アフリカ大陸の南の果て、喜望峰をゴール地点に定める(本当は南の果てではなかったけど笑)。
これだけ回れれば充分だろう。
そして、前回の世界一周時にも妥協はしたくなかった予算面。
今回は80万円強を準備した。
サラリーマンとしてではなく、旅人としてコラムを書いたり本を出版したり講演会を行ったりしていただいたお金で旅ができるのが、本当に感慨深い。
初めてのアフリカ旅行。しかも車椅子。
正直怖い。怖くて怖くてたまらない。
でもいつも、始まりはそうだ。
見えない世界へ一歩踏み出すのは、いつだって怖い。
でもそれらを乗り越えたあとは、いつも素晴らしい経験となって身についているじゃないか。
よし、行こう。
次回から、波乱万丈アフリカ一人旅が始まります!!!
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