ryomiyagi
2020/05/25
ryomiyagi
2020/05/25
中世、北イタリアの街を舞台にした世界一有名な恋物語『ロミオとジュリエット』には、〈マブ〉という名の妖精が登場する。
妖精のくだりは、物語の序盤、ロミオとエスカラス大公の遠縁にあたるマキューシオの会話に出てくる。舞踏会のためにキャピュレット家へと向かう途中で、ロミオはマキューシオに昨晩見た、いやな感じのする夢について話す。「正夢になるかもしれない」と心配するロミオにマキューシオは、夢は妖精のいたずらが見せたものなのだと言う。
妖精の最高の支配者〈マブ〉が小粒ほどの馬車を引きながら眠る人間の鼻先を通る。すると、人は夢を見るらしい。兵士には敵の喉を掻っ切る夢を、弁護士の指をかすめれば報酬の夢を、美女の唇をかすめれば接吻の夢を。マキューシオの戯言に一同は大笑いするが、ロミオだけは笑えない。
夢とは戯言なのだと皮肉を効かせることで、作者シェイクスピアは道化風にロミオとジュリエットの性急な恋を際立たせているのだと思う。ここでマキューシオの役割をうやむやにしてしまうと、物語のおもしろさは削がれてしまう。個人的に、物語のなかでも特別お気に入りの場面だ。
恋物語は世界中に溢れている。古いものも、新しいものもたくさん。そこにはいつも、困難が待ち受けている。恋人たちは、ゆるゆると運命に翻弄される。いつの時代に書かれた作品でも、恋人たちのプライベートで親密な空気を、読者はたんまりと楽しむことができる。それが本のおもしろさだ。だけど、課題もある。
ご存知の通り、本書の原作は戯曲だから、この恋愛物語は演者(役者)を通して伝えることを前提にしている。劇の演出というのは解釈をこらすうちに、原作から離れてしまうことがあるらしい。かといって現代の感覚で物語をとらえ直す作業が行き過ぎて、作者が新しい視点を付けくわえてしまうと、その作品を愛する読者に責められかねない。古い作品では、こうした言葉の壁はいっそう高くなる。だから、『ロミオとジュリエット』を小説の形式で読めると知ったとき、お気に入りの妖精の描写がどうなるのかと、とても気がかりだった。
シェイクスピアより古い時代、妖精は人間たちの信仰を集めていた。また、この物語が14世紀のヴェローナが教皇派と皇帝派に分かれて対立していた時代に起きた事件をモチーフにしていることなどは、原作だとどうしても若い読者に伝わりづらい。
宿敵どうしの名家に生まれたロミオとジュリエットが無残な死を迎えることになった状況は、現代の若いカップルとズレを感じざるをえないからだ。
小説版にすることで、物語を純粋に楽しむことができ、それぞれの登場人物の気持ちがまっすぐに届いて、しみじみと楽しむことができた。言葉をわかりやすくしたことが、表現に結びついたのかもしれない。まだ幼さを残すジュリエットの無邪気さやロミオの情熱的な愛の言葉も、小説のなかにバランスよく溶けこんでいた。
私の好きな妖精マブの場面はどうだったかというと、マキューシオの台詞をコンパクトにすることで、ロミオの恋をからかう彼の毒を含んだ物言いがしっかり表現されていた。ロミオのロマンチックな恋が引き立っていたと思う。
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