BW_machida
2021/07/12
BW_machida
2021/07/12
2020年アメリカ合衆国大統領選挙でジョー・バイデンが勝利を確実にしたとき、次期大統領はホワイトハウスを目指すにあたり一人の女性を選出した。この瞬間、女性初、黒人初、アジア系初のアメリカの副大統領が誕生した。彼女の名は「カマラ・ハリス」。ハスの花を意味するこの美しい名の持ち主の魅力は、その容姿もさることながら輝かしい経歴にある。
1964年にカリフォルニア州オークランドで生まれた著者は、オークランドとバークレーの境で子ども時代を過ごした。経済学を学んだ父のドナルド・ハリス氏はジャマイカの出身で現在はスタンフォード大学の名誉教授。母のシャマラ・ゴパラン氏はインドの生まれで、栄養学と内分泌学の博士号を取得した、乳がん研究者だ。
「私たちは、母、祖父母、叔父、叔母たちから南アジアをルーツとすることの誇りを少しずつ教え込まれていった。私と妹の古典的な名前は、インドの神話に由来する。私たちはインド文化を強く意識し、尊重しながら育った。」
幼少期をそう振りかえる著者には、子どもの頃から法律の道に進むべき理由が揃っていたようだ。著者の両親は、公民権運動を通して知り合ったという。1960年代初頭から盛んになりつつあった公民権運動は、黒人学生をはじめ、政治に積極的な関心をもつ若者たちが不平等に対して声をあげるようになっていったことで盛り上がりをみせた。
家族の議論の中心には、いつも社会正義があった。ベビーカーに乗せられて、両親と共に公民権運動のデモ行進に参加するのが著者の日常だった。ほとんどが平和的な抗議運動だったが、ときには暴力を振るわれそうになることもあったという。そんな時、母親はベビーカーと一緒に安全な場所まで走って逃げなくてはならなかった。
公民権運動の偉大な指導者たちの中には法律家もいたし、法律は公平な社会の実現に役立つツールであることを著者は自らの経験から十分に理解していたのだろう。名門の黒人大学として多くの著名な卒業生を輩出しているハワード大学へ進学すると、連邦上院などでインターンを経験。弁護士資格を得てカリフォルニア州アラミーダ郡地方検事事務所で働きはじめた。2011年には、カリフォルニア州で初のアフリカ系女性の司法長官となった。初のアジア系アメリカ人司法長官だ。
誰かの役に立てる人になりたい。それが、羅針盤となり著者を支えてきた。そんな彼女の強い想いを支えたのが、母親の存在だ。
「自分が黒人の娘二人を育てていることを、母は十分に理解していた。彼女は、自分の血を引く娘たちが黒人の女の子として扱われるとわかっていたので、マヤ(妹)と私を自信と誇りに満ちた黒人女性に育てあげてみせると心に決めていた。」
「賢くてタフで熱心で包容力」のあった母親は、娘たちが自然と自信を育めるように助け、背中を押し、努力すればやりたいことはなんでもできるという気持ちにさせてくれたという。
「あなたが何者であるかをほかの誰かに決めさせてはならない。決めるのはあなた自身だ」
そう娘たちに投げかけた母親の言葉は、移民という存在がアメリカで暮らしていくことの複雑さを映し出している。そしてそれはまた、この国の歴史に対抗し、政治リーダーにまで上りつめた著者の支えとなったにちがいない。
『私たちの真実 アメリカン・ジャーニー』
カマラ・ハリス/著 藤田美菜子・安藤貴子/訳
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.