BW_machida
2022/04/19
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2022/04/19
過疎地域は社会的な弱者としてイメージされやすい。よって、過疎地域を扱う書籍は過疎地域を好意的に描く傾向にある。そこにはのどかな田園風景が広がり、小さなコミュニティだからこそ育むことのできる人と人の繋がりがある、といったふうに。
「過疎地域で暮らしていると、都心からやってくる人に出会う。そうした人たちは、自然環境が素晴らしいとか、水や空気がおいしいとか、人当たりが優しいとか、初めのうちは言っている。(中略)しかし、そうした印象は次第に違うものに変わっていくのが常だった。」
生活がマンネリ化して退屈してくると「田舎のいやらしさ」が目につくようになる。「過疎地域での暮らしは不条理なほど地域のしばりが強くて、呆れるほど窮屈であり、驚くほど行動範囲が狭かった」と、著者は鹿児島で過ごした子ども時代を振りかえる。ここでの主な交通手段はバスで、朝夕の2便のみ。となると、学生の移動範囲は必然的に自転車で移動できる範囲に限られる。大人たちは思春期の子どもに純情さを押し付け、反発することもままならなかった。著者は高校を卒業すると福岡市からアメリカのボストン、帰国後は東京都で暮らした。40もの国を訪ね、ふたたび過疎地域へ戻ったことで、都心で暮らしている人が抱く過疎地域への誤った認識が浮き彫りになったという。
たとえば過疎化した地域は、変革をあまり好まない傾向にある。地方自治そのものがチャレンジを敬遠しており、補助金に頼った受け身の政策になりやすい。公務員や補助金事業者たちの既得権益を守る意識や住人たちの保守的で閉鎖的な意識が背景にあるという。地域活性化を望んでいるという主張はあくまでも建前で、過疎地域に暮らす人びとは現状維持という名のゆるやかな後退を望んでいるという側面がある。
都心で暮らしていては知ることのできない過疎地域の現実を批判したうえで、本書は「地域の活性化は本当に正しいのか」と読者に問いかける。
「結局のところ、私は過疎地域の現実が見えていなかった。過疎地域を知っているつもりでいて、じつはまったく知らなかったのである。つまり、知らないということを知る結果となった。それは、過疎地域の人びとは、都心の価値観を受け入れる気がないから過疎地域で暮らしているという単純な事実だった。」
ひと口に「地方」といっても、過疎地域のなかには都市に比較的近い地域もあれば山村、漁村、離島もあり、住民たちの置かれた状況はさまざまだ。地域の活性化が叫ばれるようになって久しいが、そこには「変わらないことを望む人びと」が暮らしていることを見落としてはいけない。「本当の意味での活性化は、そこで暮らしている人びとが楽しむことで生まれる」著者の目は地域社会のリアルをまっすぐ見つめている。
『田舎はいやらしい 地域活性化は本当に必要か?』
花房尚作/著
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