「教科書に書いてあることは噓なのか??」歴史小説家の地味~な日常#3
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『賢帝と逆臣と』(講談社文庫)や『劉裕 豪剣の皇帝』(講談社)などの著書を持つ歴史小説家・小前亮先生による、“キャラ重視の人物事典”『世界史をつくった最強の300人』がついに文庫化! 世界の偉人たちのアクの強いエピソードを多数紹介した本作は、ひとりひとりが小説の主人公になりそうな程キャラが濃い!

 

これだけネタが豊富なら「小説を書くのに困らないのでは?」と思いきや……。

 

歴史を小説に昇華するのにはさまざまな苦労と過程が。歴史小説ができるまでの舞台裏を教えていただきました。

 

歴史家の仕事は「解釈」

史実を確定させても、そこで終わりではありません。

 

むしろ歴史家の仕事はそこからはじまるのです。

 

重要なのは、何が起こったのかよりも、それがどんな意味を持つかです。

 

史実について考察し、解釈して、歴史の文脈に正しく位置づけることが歴史家の仕事であり、歴史家にとって「歴史を描く」ということになります。近年ますます盛んになっている社会史、経済史などは、まさに事象をどう解釈するかという分野なので、歴史家のセンスが問われるといえます。

 

史実と解釈について、ひとつ例をあげてみましょう。

 

鎌倉幕府の成立年代についての論争があります。以前は「いいくにつくろう鎌倉幕府」と覚えたとおり、一一九二年に成立したとされていました。現在では、一一八五年成立説を主流に、議論がつづいています。

 

一一九二年は源頼朝が征夷大将軍に任じられた年で、一一八五年は平氏が滅び、頼朝が軍事・警察・土地支配権を認められた(守護・地頭の設置)年です。何年に何が起こったかという史実はもう動きません。しかし、何をもって幕府の成立とみなすかは、解釈の問題なので、様々な議論がおこなわれて、定説がくつがえることもあるのです。成立年の議論は、幕府とは何か、というより大きな議論につながるので、簡単には決着がつかないでしょう。

 

史料が乏しいからこそ、独特の解釈の余地が生まれる

いや、決着をつける必要などないのです。解釈を固定して思考を停止するより、議論をつづけたほうが理解は深まるし、その研究分野が活性化されます。

 

議論のための議論は問題ですが、つねに新説は出されるべきですし、新しい概念や史実の発見があれば、それにしたがった解釈も考えるべきです。

 

では、史実が確定できない場合はどうなるでしょうか。

 

日本の古代史などはその例です。

 

七世紀以前の日本史は謎だらけです。一次史料が残っていないので、二次史料の『日本書紀』に頼るしかないのですが、この史料の信憑性が高くありません。七世紀の記述には大幅な曲筆の跡がありますし、数百年も前の出来事が正確に伝えられていたとは考えにくいからです。

 

さらに、中国の史書で裏付けられることは少なく、考古学の発見も限定的です。後者の理由は、天皇陵とみなされる遺跡の発掘が許可されないためでもあって、何とも歯がゆいのですが、これは宮内庁の意識が変わるのを待つしかないでしょう。

 

ただ、史料が乏しいのは必ずしも悪いことばかりではありません。
独自の解釈をする余地は多分にありますし、端から見ているといろいろな奇説珍説があふれていて、興味をそそられます。なかにはかなり説得力を持った説もあります。

 

こう言うと、心配になる人もいるかもしれません。日本史の教科書に書いてあることは噓なのか、史実とは言えないことを教えていいのか、と。

 

個人的には、別にかまわないと思います。

 

明らかな噓を教えるのはよくありませんが、確からしいことや有力な説のひとつを教えるのに、批判の声をあげるのは潔癖すぎるでしょう。歴史教育の目的は、唯一無二の知識を与えることではありません。

 

だいいち、教科書に載っていることが全部正しかったら、大人になってから、教科書がまちがっていることに気づく楽しみがなくなってしまうではありませんか。

 

【続く】

 

※この記事は『世界史をつくった最強の300人』より一部を抜粋して作成しました。

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小前 亮 こまえ りょう

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