2021/02/16
長江貴士 元書店員
『地磁気逆転と「チバニアン」 地球の磁場は、なぜ逆転するのか』講談社
菅沼悠介/著
2020年1月17日、「チバニアン」という名前がメディアで大きく報じられた。ニュースを見た方はもちろんご存知だろうが、知らない方でも、名前の響きから「千葉」に関係しそうだ、と想像できるだろう。まさにその通りだ。この報道によって、千葉県にある「チバニアン」と正式に呼ばれることになった地層には、多くの人が殺到することとなった。
この「チバニアン」という名称、実はかなりの快挙なのだ。学校の授業で、「ジュラ紀」や「カンブリア紀」などという名前を習った記憶もあるだろう。これらは、特徴的な「地質」を区切りとして名付けられているもので、さらにこれらの命名はすべて、地中海沿岸地域の名前が由来になってきた。地質年代には、その時代の特徴を一番はっきりと示している地層を一つ指定し、その地名から命名するというルールがあり、これまですべて地中海沿岸の地層が指定されてきたのだ。つまり「チバニアン」というのは、地球の歴史上初めて、地中海沿岸地域以外から命名された地質年代だということだ。これは快挙と呼んでいいだろう。
ニュースでは、「千葉由来の地質年代が正式に認定された」ということが大きく報じられるので、「チバニアンという地層には一体どういう特徴があるのか?」にはなかなか触れられない。それを解説したのが本書である。
しかし、「チバニアン」の話が出てくるのは大分後だ。それも仕方ない。チバニアンの凄さを説明するには「地磁気逆転」の説明をしなければならないし、その説明をするためには「古地磁気学」の説明をしなければならないからだ。
僕は理系の人間で、それなりに科学の話題に関心があるので、「地磁気逆転」という名前は聞いたことがあった。しかし「古地磁気学」なんて学問があるということは知らなかった。
ではまず、「地磁気逆転」から説明しよう。これは、未だに「なぜ起こるのか?」が解明されていない、地球の不思議な現象である。名前の通り、地球の「地磁気」が180度「逆転」する現象のことである。
現在、方位磁石は「N極が北を指す」。当たり前だろう。しかし、チバニアン以前は当たり前ではなかった。チバニアン以前はなんと、もしその時代に方位磁石があったとするなら、「N極が南を指す」のだ。この地磁気逆転、過去250万年の間に、最低でも11回も起こっていることが分かっている。
そして「チバニアン」は、この地磁気逆転の証拠がどんな場所よりも明確に存在していたのである。そのため、地質年代に選ばれることになったのだ。
しかし、当たり前の話だが、現在の地球に生きる僕らは、地磁気逆転なんて現象を経験したことがない(恐らくそんなことが起こったら、僕らの日常生活はハチャメチャになるだろう)。では、どうして過去に地磁気逆転が起こっていたなんてことを知ることが出来たのか。
そこで登場するのが「古地磁気学」である。これは要するに、「過去の地球の地磁気を研究する」という学問だ。本書ではまず、古地磁気学がどのように発展し、どのようにして「地磁気逆転」なんていう現象の存在が受け入れられていったのか、という流れが描かれていく。その流れをざっと書こう。
最も新しい地磁気逆転の地層には「松山―ブルン境界」という名前がついている。ブルンという人物が「過去に地磁気逆転が起こった」ということを最初に提唱した人物であり、松山基範という人物が「過去に地磁気逆転が何度も起こった」と最初に提唱した人物だ。しかし、彼らの主張はなかなか受け入れられなかった。その背景には、古地磁気学が未発達だったことも関係するのだが(磁化に関する知識がまだ積み上がっていなかった)、あまりにも斬新な仮説だったということも大きいだろう。
そんな状況を変えたきっかけとなる研究がある。その研究はなんと、「地磁気逆転」だけでなく、ウェゲナーという人物が提唱したもののあまりに斬新すぎてまったく受け入れられなかった「大陸移動説(のちの「プレートテクトニクス理論」)」をも復活させることになったのだ。
非常に精度の高い磁力計が開発されたことで、ケンブリッジ大学の研究者が、岩石の残留磁化の測定をしてみることにした。すると、岩石の年代が新しい場合には残留磁化が示す「北」は現在の北極近くを指すが、岩石の年代が古くなるにつれて北極からどんどん離れていくようなデータが測定された。これは、データを単純に解釈すれば、「地磁気の北極が移動している」ように思えるが、実際はそうではなく、移動しているのは大陸の方だということが分かった。磁気が記録された岩石の方が移動している、ということだ。これで「大陸移動説」は見事復活、そしてこの精密な測定により、「地磁気逆転」という現象もまた過去に存在したものだということが認められるようになっていく。
このように「地磁気逆転」という現象は受け入れられるようになったが、古地磁気学にはもう一つ大問題があった。古地磁気は、海底堆積物(読んで字の如く、海底に堆積している物)からも検出出来るが、ある時代の地磁気情報が「どの深さ」に記録されるのかは分かっていなかったのだ。海底堆積物の表面か、深さ15cmぐらいか、はたまた深さ1mぐらいか。これがはっきり分からなければ、海底堆積物の地磁気を測定しても、それをどの時代と結びつけていいのかが分からない。
そしてこの超難問を解決したのが、本書の著者なのである。本書の著者は、結果的には「チバニアン」の認定に尽力することになるが、元々は「チバニアン」とは関係がなかった。著者が研究していたのは、「宇宙線生成核種」と呼ばれるものだ。細かなことは省くが、この「宇宙線生成核種」を使った年代測定と、「古地磁気記録」による年代測定にズレがあることが分かり、そのズレを詳細に測定することによって、先程の難問を解決したのだ。地磁気情報の獲得深度は15cmだと確定した。
この発見が著者を「チバニアン」に近づけることになる。著者は、この発見によって、「松山―ブルン境界」の年代をより正確に測定することが出来る、ということに気づいた。この「松山―ブルン境界」は、地質年代における重要な「目盛り」としても機能しているので、この年代測定を正確に行うことは非常に重要なのだ。
しかし、この測定を行うためには、非常に困難な条件を持つ「地層」を探さなければならない。それは「火山灰が含まれる海底堆積物」がある、ということだ。普通に考えれば、海底堆積物に火山灰が含まれることはない。かなり特殊な条件が揃わなければ海底まで火山灰は届かないだろう。しかも、その地層に「松山―ブルン境界」も記録されていなければならないのだ。そんな奇跡みたいな地層、あるわけ…
あったのだ。それが、後に「チバニアン」と呼ばれることになる地層だ。ここで初めて著者は、その地層を「チバニアン」として登録しようという団体が1990年から活動しているという事実を知る。認定には様々なハードルが存在したが、その一つが、この地層に関する論文が学術雑誌に発表されず、他の地層との比較検討が出来ないということがあった。
そこで著者が団体と関わることになり、すったもんだありながらも、ようやく「チバニアン」が正式に認められた、という展開になっていくのだ。色んな意味でちょっと「地味な」印象のある分野だが、その裏側には様々にドラマチックな展開があるのだなぁ、と感じた。
ちなみに、過去200年ほどの間に、地球の地磁気の強さは弱まり続けているという。このままのペースで地磁気が低下し続ければ、1000~2000年後に地球の地磁気強度はゼロになると考えられている。そうなった時、何が起こるかははっきりとは分からないが、甚大な被害が及ぶことは間違い無さそうだ。1000年後だったら自分には関係ないと思うかもしれないが、「チバニアン」をきっかけに「地磁気」というものに関心を持ってみるのもいいかもしれない。
『地磁気逆転と「チバニアン」 地球の磁場は、なぜ逆転するのか』講談社
菅沼悠介/著