史上初の中止となった春のセンバツは実施すべきだったと思う
お股ニキ(@omatacom)の野球批評「今週この一戦」

 

今年に入り、新型コロナウイルスで日本中が揺れている。数々のイベントや大会が中止されている中、高校野球のセンバツ大会も長期間の審議の結果、3月11日の臨時運営委員会で開催中止が正式に決まった。中止の判断にはどのような背景があり、今後はどういった「救済案」が考えられるのでしょうか?
お股クラスタの一人、ゴジキ氏(@godziki_55)に寄稿してもらいました。

 

■2度の大震災後はいずれも大会を開催したセンバツ

 

長い歴史の中で、高校野球の甲子園大会が中止になったのは2度しかない。いずれも夏の甲子園大会で、米騒動(1918年)と第二次世界大戦(1942〜1946年)があった年だ。それ以降では、センバツ大会前に阪神・淡路大震災や(1995年)や東日本大震災(2011年)が起きたが、いずれも最善の策を行なった上で開催された。

 

一つ具体例をあげると、2011年大会の場合は計画停電などを考慮した上での省エネルギー対策の一環として、可能な限りナイターでの開催を避けるため、第1日の第1試合の開催を当初の午前10:20開始から20分繰り上げて10:00開始、第2試合と第3試合も予定開始時間を20分繰り上げて、12:30と15:00の開始予定とした。加えて、試合中の攻守交替や試合前練習といったインターバルも短縮した。

 

さらに、入場収入の一部、球場内に設置する募金箱の収益を東北大震災被災者義援金として贈呈したり、毎日新聞大阪社会事業団を通じて募金が贈られたりした。また、震災によって観戦できなくなった前売り入場券購入者に対しては無手数料で払い戻しを行った。応援も楽器類の鳴り物入り応援は全面禁止にした。

 

そういった策もあり2011年のセンバツ大会は無事全日程を終了したわけだが、開幕前から最善の策を取りつつ、多少のリスクを背負ってでも大会の開催に向けた高野連の動きは非常に素晴らしいものがあった。
これは、高校生の部活動で圧倒的な人気を誇り、高野連やスポンサーも含めてブランド力・コンテンツ力がある高校野球だからこそ実行できたことかもしれない。

 

■今回もセンバツは開催すべきだった

 

今回のコロナウイルス騒動を学生の部活動という括りで見ると、団体競技ならラグビー、ハンドボール、卓球などの全国大会が、個人種目では柔道、体操、テニス、ボートなど20種目以上の大会があり、野球以外の全競技は既に中止を決めていた。高校野球もそれの続く形で、11日に中止が決まった。

 

しかし野球の場合、他競技の大会のようにすぐに中止ではなく、当初は開催を前提とした上で無観客試合の案で進んでいた。結果的には中止にはなってしまったが、開催を前提に動けた一番の要因は、やはり長い歴史や文化から構築された人気の高さやブランド力・コンテンツ力があるからではないだろうか。

 

高校野球は、「プロ」や「ビジネス」でもなく、「教育の一環」の「部活動」だが、毎年大多数のお客さんを集める人気イベントでもある。
また、甲子園出場までの各校のストーリーや、一発勝負のトーナメントの儚さ、意外性があるプレー、高校時代という青春への共感、ヒーローの誕生など数えきれない要素が老若男女問わず感動を与えてきた。

 

特に、甲子園大会は春夏問わず大会期間中はプロスポーツを差し置いてスポーツニュースのメインも飾り、学生のスポーツという括りを超えた存在だ。地上波のバラエティ番組で特番が放送されるぐらいの人気は、「アマチュアスポーツ」では異例である。

 

具体例をあげると、「選抜大会」に該当する高校の部活動における競技は数々あるが、大衆から「春」=「センバツ」は「高校野球」とイメージされる。その背景には、学生スポーツの中では群を抜く人気の高さや、これまでの歴史で構築されてきたブランド力があるだろう。
学生スポーツやアマチュアスポーツというカテゴリーで「ヒト・モノ・カネ・情報」をここまで大きく動かすブランド力やコンテンツ力は群を抜いており、他の競技ではできないことだ。

 

現状は、メディアを通して日本中が「自粛ムード」であることや他のイベントや大会が「開催」にこぎつけた前例がない段階で、世間の動向からマイノリティに動くことは、多かれ少なかれバッシングされるのは必然的だ。
また、Jリーグと提携を組んだプロ野球の開幕も延期になり、センバツ大会の開催に対して逆風が吹いていたのは否めない。

 

しかし、世間が自粛ムードの中で賛否が分かれると予測はつくが、2011年を例としてあげた対応の良さを見ると、様々な対策を行いながら開催していくべきだったと考える。
なぜなら、タイミング的にも、学生スポーツやアマチュアスポーツに「高校野球」が与える影響力を考えても、模範となる形で先陣を切る必要があったからだ。

 

現状の変化に応じて高野連含む高校野球が積極的にプラスの策を行いつつ大会が開催されたら、今後開催の予定が組まれている他競技のスポーツ大会や他のカテゴリーのイベントにも良い影響を与えることができ、相乗効果が見込めたのではないだろうか。

 

スポーツの大会やイベントなら高野連を含めた高校野球のように他競技に対しても影響力のある協会や団体、ビジネスの場なら企業がいかに率先して様々な最善の策を行いつつ、プラスの方向に動けるかは非常に重要である。これは今年のセンバツ大会の開催に限らず、様々なカテゴリーや局面において共通することだ。
その行動が早ければ早いほど、後に続く者たちも対応できる可能性は高くなる。今回のように国内全体の雰囲気が暗くなっている状況の中、いかに早く策を打ってプラスに行動して空気感を打開していけるかが今後の鍵になっていくだろう。

 

■出場予定校への救済策や代替案は?

 

とはいえセンバツ大会が中止となってしまった今、出場予定校に対する配慮を考える必要がある。
先輩の代から世代交代して実質最初の晴れ舞台がこの大会なだけに、優勝を目指していた選手達は悔しい思いしかないだろう。大変恐れ多いが、この状況下での救済策を2つ考えてみた。

 

一つ目は、夏の甲子園大会の枠を増やすことだ(期間内に日程が消化できる範囲で)。
例えば、優勝した中京大中京をはじめとした明治神宮神宮大会の出場校は実力的にも申し分がない。また、各地方大会の準優勝校には出場枠を与え、余裕があれば昨夏の甲子園大会で優勝し、今年も実力がある履正社に与える方向で増枠していくことだ。
ただ、この案のデメリットは、出場予定校の全校に枠を与えられないことだろう。それによって平等・不平等の話がもちあがるのは間違いない。

 

二つ目は、センバツ大会の代わりとなる大会を、夏の大会終了後に開催することだ。甲子園球場の空き状況にもよるが、国体の時期などを見計らいつつ開催していくことによって、一つ目の案のデメリットである全校出場させられない点を解消できるだろう。しかし、秋に開催すると世代の移行やモチベーションに問題が出てくるのがデメリットとなる。

 

その他にも救済策の案はあるはずなので、それらを積極的に実施し、この世代で悔しい思いをした球児達に甲子園で思う存分プレーをしてほしい。

 

残念ながらコロナウイルスの影響で中止という結果になったが、もしセンバツを(もちろん様々な対策を打った上で)実施していれば、選手達にはもちろんのことファンの方々や他競技のプレーヤーにも多大なる影響をもたらすことができたのではないだろうか。

 

現在はスポーツの大会や各種イベントを「開催する」ことに踏み出すための、一歩目の勇気が必要なのだと思う。

お股ニキ(@omatacom)の野球批評「今週この一戦」

お股ニキ(@omatacom)(おまたにき)

野球経験は中学の部活動(しかも途中で退部)までだが、様々なデータ分析と膨大な量の試合を観る中で磨き上げた感性を基に、選手のプレーや監督の采配に関してTwitterでコメントし続けたところ、25,000人以上のスポーツ好きにフォローされる人気アカウントとなる。 プロ選手にアドバイスすることもあり、中でもTwitterで知り合ったダルビッシュ有選手に教えた魔球「お股ツーシーム」は多くのスポーツ紙やヤフーニュースなどで取り上げられ、大きな話題となった。初の著書『セイバーメトリクスの落とし穴』がバカ売れ中。大のサッカー好きでもある。
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