akane
2019/06/13
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2019/06/13
小三治の高座が「マクラだけ」で終わることが、たまにある。ほとんどは独演会で二席やるときだ。独演会なら一席目のマクラが長くなり過ぎたら「いったん休憩を」と高座を下り、二席目で落語をみっちり演る、ということが可能だし、また一席目に落語をたっぷり演った後の二席目のマクラに興が乗って終演時間になってしまう、ということもある。
後者の例で記憶に残るのは2002年3月31日、松戸市民会館での独演会。一席目に『宿屋の富』を演った小三治は、再び高座に登場すると「楽屋のネタ帳を見ると、志ん朝さんもよくここで会をやっていたようですね」と言ってから、「昔、志ん朝さんと一緒にイタリアに行ったことがありました」と、1982年に志ん朝と行ったイタリアでの珍道中について語り始め、結局それだけで二席目を終えた。志ん朝の死から半年後という時期だけに観客も大満足だったし、小三治も「あえて」そうしたのかもしれない。(このイタリア旅行については大友浩氏の著書『花は志ん朝』の河出文庫版巻末の小三治インタビューでも触れられている)
だが一度だけ、まったく違う理由で小三治が落語を演らなかった高座を観た。2008年3月29日、三鷹市公会堂での独演会だ。この日、小三治は「一席目があまりに良すぎて、もう落語を演る気がしない」という理由で、二席目をマクラだけで終えた。
三鷹駅からこの会場に来るまでの間には見事な桜並木がある。折りしも桜が満開で、花見日和。一席目に登場した小三治は「ここへ来る道々、とても綺麗な桜を見ることができました。桜を見ると、日本だなぁって思います」と桜の話題から入り、すぐに『千早ふる』へ。知ったかぶりの先生の作り話の中に「頃しも弥生、竜田川は御贔屓衆に夜桜を見ようと誘われて吉原へ行った。不夜城のごとき吉原で見る夜桜はまことに絶景」というフレーズが出てくる、という意味で桜のマクラとリンクしている。
この『千早ふる』が、絶品だった。
小三治は「金さん」が先生に歌のわけを訊きに行くという設定で『千早ふる』を演る。十八番と言ってもいい演目で、いつも聴いても実に面白いが、この日はまた格別で、金さんと先生の二人が高座の上でリアルに会話をしている。それがもう、堪らなく可笑しい。全編アドリブで進行する縦横無尽の口演で、これまで観た中でも間違いなく最高の『千早ふる』だと、僕は興奮した。
休憩を挟んで二席目。高座に上がった小三治は「今日はこの場を借りて皆さんにお礼を言いたいことがあります」と切り出した。「さっきの『千早ふる』という噺は、わりとよく演る噺ですが、今ままで演った中で、さっきのが一番良かったかもしれない」
そして、そういう風に演らせてくれた皆さんに感謝したい、と言う。
「どうかすると、言葉をポーンと投げ出してそっちで勝手に受け止めろ、わからなきゃ仕方ねぇ、と……そうならないように、とは思ってるんですが、そんな風に思ってしまうときもある。それが、さっきはまったくなかった。初心に戻るっていうんですか。この会場は隅々まで私の声がお客さんに届いて、きちんと受け止めてくれている。だから一人一人にちゃんと届けようと、そういう気持ちになった」
その後の一言が凄かった。
「演ってて、二人の会話を聞いてて『この噺は、こんな噺なんだ、おもしれぇなあ、こりゃ』って……」
演者自身が「面白いなぁ、そのあとどうなるの?」と感じながら演じる。小三治が「かくあるべき」とする、究極の境地である。
出てきたばかりで「今日は本当にありがとうございました。いい一日でした」と言う小三治に会場から笑いが起こる。
「こんな風に思えることは、そうあるもんじゃない。年に一度、こんなことがあれば幸せだと、そういう気持ちでやってます。ですから今日はありがたかった」
そこから小三治は音楽にまつわる思い出話を始め、やがて「古い歌ですが、去年好きになった歌です」と、『青葉の笛』の話題へ。2007~2008年当時の小三治は、一番の歌詞で平敦盛の最期を描いたこの唱歌について、好んで語っていた。
「もう今日はこのまま最後まで行きますね。だって、『千早ふる』があんなに上手くできたのに、もう一席やってそれが何なんだと……今日は、私がとてもいい落語ができた。それで、私がそう思った、ということを理解してください。あとは付け足しです」
『青葉の笛』について楽しそうに語り続けた小三治は、こう締めくくった。
「五十くらいまでは歯を食いしばって頑張ってきましたが、五十を越して、頑張ってもしかたねぇって気づきました。楽しくないことはやってちゃいけない。仕事だからって、楽しくなきゃ意味がない。来世でどんな苦労してもいいから今が楽しいほうが断然いい! またお会いしましょう」
2010年12月、僕は小三治に一時間以上に及ぶ単独インタビューを行なったが、その中で僕が「さっきの『千早ふる』が良すぎて今日はもう落語はできません、とおっしゃったことが」と切り出すと、小三治は即座に「三鷹です、それは」と言った。やはり小三治自身にとっても「特別な高座」だったのである。
「どうしてああいう世界が出来ちゃうんですかねぇ。それで一席終わってみるとね、あともう一席やることないんじゃないか、っていう。もう一席やっても、それはただ言葉を羅列するだけでしょ。あと何やったって、あの境地まで行くわけないんですよ」
あの客席にいてよかった、とつくづく思う。間違いなく、小三治の「伝説の高座」のひとつである。
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