「無辺のなかの究極、100の珠玉」【第1回】著:川崎大助
川崎大助『究極の洋楽名盤ROCK100』

ではなぜ、そんな「驚くべき」結果となったのか? その理由は、素材とした両者のリストに、かなり大きな差異があったからだ。それぞれがそれぞれに「偏っていた」と言うべきか。両者の特徴を大雑把に述べると、こんな感じだ。

 

〈ローリング・ストーン〉は「妥当性は高いが凡庸」だった、と言えるかもしれない。対して〈NME〉は「その意気は買うが、ちょっと偏向しすぎてやしないか?」と、ときに(いや、しばしば)突っ込みたくなるものだった、かもしれない。

 

一例を挙げるならば、〈ローリング・ストーン〉リストの1位がビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(67年)であり、〈NME〉の1位が(なんと)ザ・スミスの、よりにもよって『クイーン・イズ・デッド』(86年)……というところがすでに、両者の特徴をよくあらわしている。こうした両者の違いについて、ひそかに僕は「オッチャン vs 文化系サークル学生」と呼びならわしている。

 

この「違い」とはつまり、両国の「ロック観」の違いだ。そしてこの「ロック観」こそが、それぞれの国のロック音楽を形作ってきた「芯」に、スピリットの中心軸の部分にあたるものだ。

 

たとえばアメリカは「ロックンロールが誕生した国」だ。1950年代半ばのエルヴィス・プレスリーによる一大センセーションが、ロック音楽の「最初の1ページ」を、これ以上なく派手にめくることになった。路傍のアウトサイダーがヒーローとなる道筋がそこに生まれた。

 

対してイギリスは、まずなんと言ってもビートルズの国だ。60年代以降、ロックのありとあらゆる可能性と未来を透視しようとする研究者群と、実際に未踏の地をどかどかと開闢していった無数の不良少年軍団たちのお陰で、その後の世界の音楽史は決定づけられていった。

 

そんな「前衛と改革」の地であると同時に、「ロックの源流のひとつ」であるフォーク音楽を膨大なる移民とともにアメリカに送り出したのも、数百年前のアイルランド、スコットランド、そしてイングランドだったことも忘れてはならない。

 

だからロック音楽とは、まぎれもなく、この特別な関係にある米英2つの文化圏の交流の歴史から立ちのぼってきた「固有の文化」なのだ、と言い換えることができる。「ここ」にこそ原点があり、発展における肝要な事象の「ほとんどすべて」があった。

究極の洋楽名盤ROCK100

川崎大助(かわさき・だいすけ)

1965年生まれ。作家。88年、音楽雑誌『ロッキング・オン』にてライター・デビュー。93年、インディー雑誌『米国音楽』を創刊。執筆のほか、編集やデザ イン、DJ、レコード・プロデュースもおこなう。2010年よりビームスが発行する文芸誌『インザシティ』に短編小説を継続して発表。著書に『東京フールズゴールド』『フィッシュマンズ 彼と魚のブルーズ』(ともに河出書房新社)、『日本のロック名盤ベスト100』(講談社現代新書)がある。

Twitterはこちら@dsk_kawasaki

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