akane
2018/12/06
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2018/12/06
これから紹介するBさんも、前回に登場したAさん同様、現在の暮らしを楽しみ、年齢にこだわらずに新しいことに取り組み、「元気」な日々を過ごしている。
しかし、私が驚いたのは、妻と2人暮らしのBさんが、朝ご飯を作り、掃除、洗濯などの家事を日課とし、さらに、「100歳まで生きるなら、今から学びたいことは編み物」と語ったことだった。
これまでの経験から、高齢男性には、「居座り老人、居直り老人」とも呼ぶべき人がけっこう多いという先入観が、私にはあった。
外との交わりに消極的で、家では何もせず、「居座って妻をこき使う」。要望が通らなければ、「声高にそれを押し通す」。そういうイメージである。
しかし、Bさんの暮らしは、そうした紋切り型の高齢男性のイメージが間違いで、性別にこだわらない柔軟な生き方が、長寿期の「元気」を支えるという事実を示していたのである。
《Bさんのプロフィール》 1925年(大正14年)生まれ。急な坂の上の自宅に、妻85歳(昭和5年生まれ)と2人暮らし。子どもは娘が3人。うち2人は、同一市内に居住。41歳時に右目失明。88歳時、重病で入院歴あり。車の運転は若い頃からしていない。
先のAさんと同様、Bさんの一日の過ごし方から見ていこう。
Bさん 「朝5時に起きて、朝食作りの前支度。6時25分からテレビ体操。その後、朝食を作り、7時頃~8時頃まで朝食。妻が後片付け。9時頃から散歩。ただ歩く時もあるし、買い物を兼ねてのこともある。ボランティアの日は9時頃出かける。昼食は夫婦別々に作り、それぞれで食べる。
午後はウクレレなど自分の楽しみで過ごし、妻が作った夕食を妻とおしゃべりしながら2時間ほどかけて摂る。ゴミ出し、掃除、洗濯は自分が必要に応じて行う」
さらに、1週間、1カ月のメリハリは、ボランティア活動への参加、昔の同僚との交流などにより付けられている。
Bさん 「朗読ボランティアを定期的には月3回、不定期で行くこともあります。難病の方のベッドサイドで本を読んであげたり、テープに吹き込んだり。71歳の時から20年ほど続けています。月に一度は、昔の同僚とのカラオケ。80歳まで自治会の会長もしていました」
話を聞いていくと、20年も続く朗読ボランティア活動と家事が、Bさんにとって大事な日課だというのがわかってきた。
中でも私にとって興味深かったのが、朝食作りだった。それは「ペンしか持ったことがなかった人が、退職後、食事作りをするようになった。娘が時たま来ると、『朝食だけで私らの一日分だ』と言う」と、インタビューに同席した妻が語る朝食である。
日課の中の、「朝食作りの前支度」の意味が私には理解できず、「前支度って何するんですか」と聞いた。
Bさん 「朝食に味噌汁を作りますが、その前支度です。スープを野菜でまず取ります。細かく言うと、キャベツ、人参、タマネギ、カボチャ、それをいりこ7匹でとった出汁で40分間ほど煮ます。その後、野菜を網で全部掬い上げ、出汁だけにして、食べる直前にその出汁にわかめ、豆腐、油揚げを入れて味噌汁を作ります。十分出汁が出ているので、おいしいですよ」
春日 「具は捨ててしまうんですか?」
Bさん 「掬い上げた野菜は、温野菜で食べます。他に、朝食のおかずとして山芋をすって、それに生卵を混ぜて。これは1日も欠かしません。大根もすって温野菜にかけて食べます。この人(妻)が作ったひじきや干し大根の煮物や煮豆などの常備菜も、朝食のおかずです。
ま、食べることは誰でも自分でできるようにならんといけません。食べなきゃ生きていけんですから。弁当を買って食べたりしていると、身体が動かないようになります」
きちんと食事を摂ることなしに、「健康」は維持できない。Bさんの朝食作りの背景にあったのは、健康重視の考えだった。
Bさんは、また、体力を維持するために、40年間、病気の時に半年ほど休んだ以外は、毎日1時間歩き続けているというる。この日課を続ける「気力」も並大抵のものではない。
しかも、Bさんの場合、「健康」を維持し「元気」に過ごすためのこうした日課のみならず、暮らしにメリハリを付け「気力」を養う社会活動への参加や、「自分の楽しみ」という点でも意欲的だった。20年に及ぶ「朗読ボランティア活動」、ウクレレ、昔の同僚とのカラオケなどである。
Bさん 「ボランティアを始めたのは、目が不自由になって、ぜひ人の役に立ちたいと思うようになったのが動機です。(88歳時に重病で)手術した後、やめようと思ったんですが、皆さんが回復祝いまでして下さって、で、やめないで続けて。
それでリズムもできますし、これをしようというのがあれば、朝もピンと起きられます。
もう亡くなられたんですが、難病の方のお宅を訪問して本を読むことを、かなり長く(していました)。(その方は)強い意志の持ち主で、教えてもらうことの方が多かったです」
ところで、Bさんと、先に紹介したAさんなどの女性の元気長寿者とでは、大きく異なる点がある。女性の場合には、若い頃から、旧来の性別役割意識のもと、女性役割として家事を担い続け、現在もその能力を駆使して、一日の日課をスケジュール化し、親族や地域の人とのつながりを維持していることが多い。
それに対し、男性であるBさんは、日課としての家事を「健康重視」「妻に対する配慮」から引き受け、社会参加も「目が不自由になる」という自己体験を踏まえ、「人の役に立ちたい」という動機から開始している。
これは、男女の違いという点から見ると、興味深い点である。
女性の場合、若い頃から馴染んできた役割の延長線上で自分の能力を発揮しながら、長寿期を生きることが可能である。
一方、一家の働き手として職業役割を担い、家事領域や地域活動とは無縁だった男性が、長寿期を「元気」に過ごしたいと思えば、慣れない領域の活動に取り組む何がしかの意識変革、選択意志を必要とする場合が多いということである。
その意味で、朗読ボランティアや家事を日課にする暮らしを選び取ってきたBさんだからこそ、私の「これから100歳まで生きられるとしたら、Bさんは何をされたいですか」という質問に対し、私を驚かせる次の答えが返ってきたのだと考える。
Bさん 「私は84歳でウクレレを習い始めて。もし100歳まで生きられるなら、そういうことでもして、好きですから。それと今からでも習うとしたら、編み物がしてみたいなあ」
春日 「エッ! 編み物ですか」
Bさん 「歩けなくなったら編み物ぐらいかなあ。それも、帽子のいいのを編んでみたいなあと思う。欲があるとしたらそれくらいですね。ウクレレをやったりね」 「エッ! 編み物ですか」と私は反応してしまったが、難病の人のベッドサイドでの長期にわたる朗読ボランティア経験を通して、人の「死に至る過程」の学びをしてきたBさんだからこその、「編み物」かもしれないと思ったのである。
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以上、『百まで生きる覚悟――超長寿時代の「身じまい」の作法』(春日キスヨ著、光文社新書刊)から抜粋・引用して構成しました。
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