akane
2018/10/26
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2018/10/26
ふつうモノクロでしか見ることのできない昭和30年代の日本を、カラー写真で記録していた人物がいた。
アメリカ出身、日本と日本の鉄道をこよなく愛する、元祖「カラー撮り鉄」、J・ウォーリー・ヒギンズ氏。
1956年に、初来日。’58年に本格的に来日以降、日本に在住。国鉄の顧問を務め、日本全国をくまなく巡りながら、趣味の鉄道写真を中心に、当時としては超贅沢なカラーフィルムで日本の風景を多数撮影してきた。
そんなヒギンズ氏が、このたび出版した『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』から、いくつかの写真と、それにまつわる思い出話をご紹介する。
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アメリカにいる家族や友人たちに、自分が日本のどんなところに惹かれているかや、日本の魅力を伝えたいと思い、日本の風景や人々の姿も入った写真も撮るようにした。乗り物と共に人を撮るという構図のものが中心だった。
鉄道写真には、変色の心配のない白黒フィルムを使っていたが、こうした風景として面白いと感じた写真は、コダックのカラーフィルムを使って撮影した。
当時はカラーフィルム自体が非常に貴重で、誰もが手に入れられるものではなかったが、アメリカ軍に従軍していたおかげで、コダックが安価に手に入れられたのは幸いだった。
当時はコダックがいいなんて知らずに選んで撮っていたのだが、60年経ってみると、偶然とはいえ、コダックを選んでいたのは正解だった。
この写真は、都営地下鉄の建設が始まった当時の浅草。
都営浅草線と日比谷線は、ほぼ同時期に建設が進められた。しかも、偶然だとは思うが、両方とも、北東の端から建設を始めたんだ。日比谷線は最初に北千住から人形町までが開通した。浅草線も最初にできたのは人形町までだった。
浅草線はオリンピックのために建設されたわけではなく、長期的な計画に基づいて作られたものだが、オリンピック開催までに優先すべきプロジェクトを決めていく必要が出てきた段階で、浅草線と日比谷線は優先順位の上位にきた。
地下鉄工事中は、道のあちこちに木の板が敷かれ、板の下では建設工事が進み、人々が道路ではなく板の上を歩く風景が見られた。
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