2019/07/04
小説宝石
『偶然の聖地』講談社
宮内悠介/著
宮内悠介『偶然の聖地』は、不思議な小説だ。地図にはなく検索しても出てこないイシュクト山。行く道が出現するかどうかは運次第だが、登れば意識変容を起こすと伝えられている。それゆえ「偶然の聖地」である山を、事情を抱えた複数の人々がそれぞれ目指して旅していく。
作中では、秋のあとに訪れる短い春は「旅春」と呼ばれ、時空がかかる病だとされる。人間の病を治す医者がいるように、世界の不調を治す「世界医」が存在する。コンピュータ・プログラムのバグをつぶすごとく、「世界医」は世界のバグをつぶす。また、宇宙エレベーターを奏でる巨人もいるようだ。密室で発見されたミイラ化遺体に関する捜査も進められる。旅の過程で様々な奇想が語られる。
とはいえ、浮世離れした要素ばかりではない。本書は、自身がバックパッカーでプログラマーだった著者による註が三百十九も付されているのが特徴だ。それらは註らしい説明ばかりでなく、断片化されたエッセイのようにもなっている。食の話題の多さもエッセイ風と感じさせる一因だ。異国の旅における「あるある」がいろいろとあげられ、他国の人には異様でも現地では珍しくない事例が説かれる。また、プログラミングについても、一般人には理解しがたい従事者の常識が記されている。
「偶然の聖地」をめぐる不思議とともに、当事者にとっての漫然とした日常が、他の人にとっての不思議となることが書きとめられている。二種類の不思議が混じりあっているのが面白い。そして、読んでいるうちに思うのだ。たくさんの国があるこの世界が存在すること自体も不思議だなあ、と。
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