2020年3月6日から始まる「平行世界のカウントダウン」を体験せよ

高井浩章 経済記者

『ワン・モア・ヌーク』新潮社
藤井太洋/著

 

 

「3・11」に東京の都心に原爆テロの脅威が迫る。しかもオリンピックイヤー、そう、2020年に――。

 

この着想をもとに、例えばメッセージ性の強いショートムービーや短編マンガを作ることは、さほど難しくないかもしれない。

 

だが、それを長編小説として仕上げる、しかもプロローグとエピローグを除けば3月6日から3月10日までのわずか110時間のカウントダウンものとして仕上げるとなれば、話は別だ。

 

映像作品のように細部から目をそらして「流れ」に集中させる引力も、マンガというメディアが持つ矛盾を飲みこむ文法も使えない。読者がどこかで「作り物」と感じれば、小説世界はガラガラと崩れ落ちる。
そんなタイトロープをSFの旗手、藤井太洋が渡り切ってみせた傑作が『ワン・モア・ヌーク』だ。

 

奇想天外なプロットを支える細部のリアリティ、それぞれの物語を背負った登場人物の造形、地に足のついたテクノロジーの小説世界への応用、流れるようなストーリー展開。構想から執筆まで、作者自身が感じていただろう「熱」が伝わってくる作品で、文句無しでのめり込めるページターナーだ。

 

素晴らしいのは、これだけ高いエンターテイメント性を維持しつつ、「核の火」という20世紀から人間が手にしてしまった業についての力強いメッセージが込められていることだ。

 

詳細は本編に譲るが、「ワン・モア」はトリプルミーニングになっている。日本人なら、1つめの広島、長崎に次ぐ3つ目の「核」、あるいは福島第一原発事故に次ぐ「核」という2つめの意味にはすぐ考えが及ぶだろう。

 

だが、物語を駆動させるうえで、作者はもう1つの「ワン・モア」をがっちりと組み込んでいる。濃縮ウランの出自を含め、日本国内の枠に収まらない藤井太洋という作家のスケールの大きさを感じさせる見事な設定だ。

 

「欲張りすぎでは?」と思うほど、多様な要素を取り込みつつ、ストーリー展開があまりにリアルなので、読者はまるでパラレルワールドの東京に迷い込んだような錯覚を起こすだろう。さきほど映像作品やマンガと「難易度」を比較してみたが、本作は驚くほどイメージ喚起力が高い。

 

ぜひ、物語世界を未来形と実感できる「3・11」までに手に取ってほしい。

 

最後に。

 

この種の作品では「ネタバレ」は禁物なので、抽象的な書き方になるのを許してほしい。

 

興奮して最終盤まで読み進めたとき、私は胸を突かれるような読書体験を味わった。
疾走感が強く、読み落としてしまう読者がいるかもしれないので、蛇足を承知で指摘しておく。
私の心を揺さぶったのは。「人称」の変化だった。

 

贅言はここまでとしよう。間違いなく、今年の収穫の1つに数えられる作品だ。

 

もう3月だ。お早めに!

 

『ワン・モア・ヌーク』新潮社
藤井太洋/著

この記事を書いた人

高井浩章

-takai-hiroaki-

経済記者

1972年生まれ、愛知県出身。経済記者・デスクとして20年超の経験がある。2016年春から2年、ロンドンに駐在。現在は都内在住。三姉妹の父親で、デビュー作「おカネの教室」は、娘に向けて7年にわたって家庭内連載した小説を改稿したもの。趣味はLEGOとビリヤード。noteで「おカネの教室」の創作秘話や新潮社フォーサイトのマンガコラム連載を無料公開中。

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