2018/06/08
藤代冥砂 写真家・作家
『生き物を殺して食べる』亜紀書房
ルイーズ・グレイ/著 宮崎真紀/訳
ユニークな行動録である。
自らの手で屠った動物の肉しか食べないと決めたイギリス人女性の一年間の肉食との関わり方が、丁寧に記されている。
環境問題、特に地球温暖化・食糧問題の視点からと、人道的・倫理的・動物愛護的な視点が起点となり、肉食を止めるのではなく、それとどう付き合っていくかを、身をもって模索する姿は、一度でも菜食主義を試みた人ならば、共感できる思いや痛みを随所に見つけられるだろう。私もヴェジタリアン、ヴィーガンなど様々な食生活を試してきたので、頷いたり、時には首を傾けたりしながら復習のように読み進めた。
著者は、タイトルにある通りに、様々な生き物をガイドを伴って殺して食べていくわけだが、自身は基本ヴェジタリアンなので、毎週殺しに行くわけでなく、むしろ様々な肉が人の口へと運ばれていく過程を知るために、時々、鹿や羊や兎、魚を求めて不慣れな手つきで銃を持ち、解体までする。そうした自分が屠った本物の肉を味わうことで、そもそも人類がなぜ肉を食べるのかという所まで戻って感じようとしているのだが、すでに多くの動物が殺されている上に、さらに著者分の殺しが加わることを人道的にどう説明するのかを知りたかったが、結局最後までそこは分からなかった。
気持ちは分かる。自分で屠り、祈り、感謝していただく。それはそれで至極真っ当だ。だが、その感情を招くために、本物の野生の命の犠牲を著者分だけ余計に増やす必要があるのだろうか。結局その一点がずっと読了まで気になってしまった。
彼女が奪った命には、鹿などの害獣もいる。だが、それを殺すということは、肉を食べることは命を食べることだという実感を得たいという個人的な欲求である。その欲求の犠牲になる命のことがずっと気になって離れなかった。
命に感謝をするのなら、スーパーで買った肉を調理し口にする時にもできる。何もわざわざ自ら殺すことはない。
それはさておき、この本の良さは、「生き物を殺して食べる」ことについて、多くの人の目を開いてくれる平易さにある。恐々と屠殺工場の一連の流れを見学して途中で逃げ出したり、動揺しながら震える手で銃を鹿に向けている様は、否応なしに肉を食べるということはどういうことなのだろう? と私たちを立ち止まらせ考えさせてくれる。
本書では、肉食に焦点が当てられているが、菜食も植物の命をいただいているという点で、命の重みは同じなはずである。より近親の種に同情を感じやすいのは確かだが、要は想像力の問題で、結局、命というものは別の命をいただくことで生きている。牛が可哀想ならば、ジャガイモだって可哀想なのだ。動物が可哀想だからといって菜食主義になるのは、安易である。
食べざるを得ない私たちができることは、それが肉であろうと、野菜であろうと、感謝して美味しく大切にいただくことに尽きると思う。つまり、祖母や母がよく言っていたことに真実があるのだ。
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ー今月のつぶやきー
「旅が好きです。最近は国内が多いです。先日は五島列島にキリスト教関係の場所を巡ってきました」
『生き物を殺して食べる』亜紀書房
ルイーズ・グレイ/著 宮崎真紀/訳