2023/02/09
長江貴士 元書店員
『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』KADOKAWA
戸田真琴/著
彼女は、言葉の強さを信じている。
「女である」「AV女優である」という理由で、言葉が正しく届かないこともあると理解した上で、それでも彼女は、言葉が言葉通りの意味で誰かの元に届くことを願い、信じている。自分自身の存在よりも、自分が発する言葉の方にこそ価値があると感じてしまう、とまで言ってのける。
彼女は、言葉に囚われすぎない。
言語化することよりも、まず、感じることの方が大事だと知っている。SNSなどで、「伝える」「共有する」ことが重視される世の中では、シンプルに「感じる」ことが置き去りにされがちだ。しかし彼女は、そんな陥穽に落ち込まない。
彼女は、言葉を「祈り」だと感じている。
彼女は、本を通じて、自分の「祈り」を届けようとする。不特定多数の、誰だかはっきりしない人ではなく、彼女は明確に、伝えたい言葉を、伝えるべき人に届けようとしている。異様なまでの真剣さで。
そして彼女は、言葉で誰かの支えになりたいと思っている。
自分を好きになれない人。孤独に苦しむ人。自分がちっぽけだと感じてしまう人。彼女自身も、同じような辛さを抱えながら、そういう人たちと一緒に闘うための言葉を紡ぐ。
こんなにも「言葉」を信頼している人は、そうそういないんじゃないだろうか。
彼女は、世間一般的にマイナスだと捉えられていることを、全力で肯定する。コンプレックスがあったっていい。フォロワーが全然いなくてもいい。友達が少なくてもいい。孤独でもいい。絶賛されているものを好きになれなくてもいい。酷評されているものを大好きになったっていい。
彼女は、その全肯定に理屈をつける。理屈で、誰かを支える言葉を成り立たせようとする。でも、その理屈を掘り下げていくと、最後にあるのは、「私がそう思ってるから大丈夫」という力強さだ。彼女は当然、そんなことが根拠になるとは思ってない。でも、彼女は「言葉」を信じるのだ。「戸田真琴」というちっぽけな個人の、なんの後ろ盾も保証も確信もないような「言葉」でも、「言葉」として放たれた瞬間からそれは単なる「言葉」であり、あらゆる装飾を剥ぎ取った何かとして、正しく誰かに届いてくれるはずだ、と。
その無垢な確信が、本書の魅力だ。「私」でも「私の言葉」でもなく、「言葉」を何よりも信じている彼女の必死さが、凄く、愛しい。
彼女は、この世の中で「最も消費されてしまう世界」で闘い続けている。そんな世界でもすり減らない何かが自分を生かしていると自覚している。簡単に居場所が押し出され、見下され、忘れられていく。代わりがいくらでもいる、という環境で、「自分が好きな自分でいる」ことはとても難しいことだ。それでも彼女は、自ら消費される世界に飛び込んでいく。こんな世界を変えられるんじゃないか、と期待しながら。
彼女の言葉は、彼女が纏うあらゆる”装飾”をすべて剥ぎ取っても自立する。それだけの強さがある。そこに僕は惹かれる。AV女優である彼女の言葉は、残念ながら”届きにくい”だろう。この言葉を必要とする人に、正しく届いてほしいと願う。
『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』KADOKAWA
戸田真琴/著