akane
2019/03/11
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2019/03/11
前回、1934年に存在が予言された中性子星が1967年に本当に見つかった話をしました。
ただ、中性子星の歴史も白色矮星と同じ運命を辿ることになるのです。
つまり、中性子の縮退圧でも重力崩壊をまぬがれなくなるほど重い高密度の恒星もあるからです。その質量限界は「トルマン・オッペンハイマー・ヴォルコフ限界」と呼ばれ、太陽質量の1・5倍から3倍程度だと考えられています。
では、それより重い高密度の恒星の末路は?
ここでようやく出てきます。ブラックホールです。
白色矮星はその発見から始まりました。一方、中性子星は理論的な予言から始まりました。ブラックホールもまた、シュバルツシルトが導出したアインシュタイン方程式の解として、まずは出てきた経緯があります。しかし、重力崩壊から密度無限大に至るストーリーは忌み嫌われてきました。そのため、理論的研究もあまり精力的に進められては来なかったのです。
そもそも恒星の研究はより基本的な問題に重きが置かれていました。恒星のエネルギー源は何か。恒星はどのように進化するのか。こういう天体物理学的な問題が基本的な研究テーマとしてあったからです。
恒星のエネルギー源に決着がついたのは1939年のことでした。ドイツ生まれの米国の物理学者ハンス・ベーテ(1906-2005)は、熱核融合がエネルギー源であると見抜いたのです。
それまで重力エネルギーも有望視されていたので、恒星の重力収縮は重要な問題でした。しかし、ベーテの偉業でその呪縛から解き放たれたことになります。ならば、重力収縮から密度無限大への道に大きな関心を持つ必要もありません。
しかし、20世紀前半にはまだ白色矮星は知られていませんでしたが、中性子星という高密度でコンパクトな天体は存在しうることは指摘されていました。
そこに着目したのが、米国の物理学者ロバート・オッペンハイマー(1904-1967)でした。
重力崩壊星――。
コラプサーのアイデアを提案したのは奇しくもベーテが恒星のエネルギー源を見抜いた年と同じ、1939年のことでした。トルマン・オッペンハイマー・ヴオルコフ限界は、この年に発表されたものです。
じつは同じ頃、ソ連の物理学者レフ・ランダウ(1908-1968)も重力崩壊星の研究を行なっていました。バーデとツヴィッキーによる中性子星の運命に関心を持ったからです。
表立っては考えを表明していなかったにせよ、オッペンハイマーらとランダウは恒星が重力崩壊した行き先が、現在でいうところのブラックホールになっていくことを予想していたのでした。
※以上、『宇宙はなぜブラックホールを造ったのか』(谷口義明著、光文社新書)から抜粋し、一部改変してお届けしました。
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