BW_machida
2020/10/16
BW_machida
2020/10/16
本稿は、喜瀬雅則『ホークス3軍はなぜ成功したのか?』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
プロ野球界、年の瀬の恒例行事。
カメラのフラッシュが光る中、記者会見場に座り、番記者たちの質問を受ける。
「サイン、しました」
契約更改交渉を終え、来季の年俸が決まる。その金額には、新聞やテレビの発表では「推定」という注釈がついている。年俸の金額を隠さず、堂々と答える選手もいるが、大半はぼかして発表する。
「キリのいいところ?」「それって、どのキリですか?」
「大台に行った?」「そのあたり……ですかね」
当たらずとも遠からず。上がった選手は低めに、下がった選手は高めに導くようなヒントを出すのが常。そこに、選手のプライドや性格がにじみ出る。
その「契約更改交渉後の会見」が設定されるのは、少なくとも、1軍で活躍する主力級の選手であることの証明でもある。実績のない若手選手の場合、秋季キャンプ中に、宿舎内で契約更改交渉が行われ、その場にいる番記者たちの囲み会見は、金額の確認程度だ。
レギュラークラス、さらにはスター選手になれば、下交渉を重ねた上で、交渉、会見の当日は、統一契約書にサインして印鑑を押し、会見に臨むというセレモニー的な意味合いが強くなっている。
かつてのように、何度も何度も保留して、年を越しての交渉という光景は減った。
2019年(令和元年)12月10日。
本拠地・ヤフオクドーム内のカンファレンスルーム。
牧原大成は、会見場に座っていた。
倍増、2000万円から4000万円へ。再婚も発表した。
「お金の管理とか、一人じゃ、何もできないんで」
番記者の質問に、照れ臭そうに答える。もう、牧原は単独で「原稿になる」選手なのだ。
会見を終えた牧原に、「歩み」を振り返ってもらう時間を作ってもらった。
「僕は、これでよかったです。性格的に、ドラフトの本指名で入っていたら、変に自信満々だったと思うんです。育成だったからこそ、自分は『一番下手くそなんだ』と。だから、苦労話ではないです。ここから抜け出したい。その気持ちはありました」
4位・千賀滉大。6位・甲斐拓也。
後の「黄金バッテリー」を指名した2010年(平成22年)の育成ドラフト。その間に挟まれた「5位」で指名されたのは、身長173センチの小柄な内野手・牧原大成だった。
3軍1期生。侍ジャパンに選出された同期生たちのように、派手な活躍は見せていない。
内野、外野のオールラウンダーで俊足、積極的な打撃。たたき上げの男は、プロ10年目の2020年(令和2年)には、レギュラー定着目前のところまで駆け上がってきた。
若いときの苦労は、買ってでもせよ――。
手あかがついた、ありきたりなフレーズだろう。
それでも、牧原大成の歩んできた道のりを表現するのに、これ以上、マッチするフレーズもないような気がした。ドライで、効率的なことに流れがちな時代の風潮の中で、牧原大成の振り返った“雌伏の時”には、どこか引き込まれ、共感できるものがある。
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