BW_machida
2020/12/28
BW_machida
2020/12/28
前回記事はこちら
その日の朝は、預かっていたヤギ、まさおの受け渡しがあった。そのままうちで飼うことも検討したのだが、先住のヤギ、カヨとの死闘が止まず。まさおを飼いたいと言うご夫婦が見つかったので、仲介する友人に運転を頼み、軽トラの荷台にまさおを載せ、私は助手席に乗り、土庄港そばの旭屋旅館からほど近いセブンイレブンで降ろしてもらった。
すでにたくさんの女性たちが来ていた。貸し出しされた白衣(びゃくえ)を身に着ける。背中には「南無大師遍照金剛 同行二人」という筆文字。同行二人とは、弘法大師とともに二人でこの遍路道を歩きますという意味である。
参加料金三千円に含まれるという数珠代わりの薄紫色をしたパワーストーンのブレスレットを手首につけ、貸し出しの金剛杖を持ち、同じく輪袈裟(わげさ)という艶々した綾織の布を何重かに折り縫い合わせた、幅六センチ、長さ九十センチ前後の布を渡された。両端に紐がついていて、結んであるため輪になっている。首に掛けて使う。真言、天台、浄土真宗などで用いられる、略式の袈裟なのだそうだ。トイレに行く時は外さねばならない。
白衣以外は普段着。「歩きやすい格好で来てください」と言われた通りにしてきた。十二月なので、日よけが必要というほどでもない。軽い日焼け止めで十分だ。今日のコースは前島(まえじま)。慈空さんを先頭に、長い列となって歩き始めた。歩きながら、橋を渡る時にはお大師様が橋の下で休んでいるかもしれないので杖をついてはいけない、というルールも教わった。伝言ゲームのように後列に伝えていく。
参加者は、「女子」と名付けているけど実質は「マダム」が多い。ネットを見て、島の外や東京から来たという人もいた。
「内澤さん」と声をかけてくださったのは、以前に地区の集まりで一緒になった女性二人。「女子へんろ」だけでなく、島で行われるイベントによく参加しているようだった。島で働き、子育てもしている。
「先頭の慈空さんのすぐ後ろを歩くのが一番楽なのよ」と言う。
なるほど。先頭から離れるだけ、プレッシャーがかかりそう。約三十人の列はばらけていくとそれなりに長くなる。実は列の最後尾にはちゃんと人が配備されていた。
この「女子へんろ」、フェイスブックで以前からちらちら読んでいて、ショウドシマ クリエイティブというグループが運営していることは知っていたが、想像よりずっとたくさんのスタッフが当日の運営にも関わっていた。最後尾で一緒に歩く人だけでなく、何かあった時のために、なんと併走車も準備。さらに、遍路道や参加者の様子を撮影する人、それから昼ごはんやお菓子を用意してくださる人までいる。
しかも、このお昼ごはんがとってもとっても美味しかった。私が参加した回では、これから小豆島に移住してレストランを開くという男性が豆のカレーライスを作ってくださった。小瀬の自治会館を借りてくださっていて、到着すると待機していたスタッフさんたちが配膳してくれる。食後には、やっぱり移住してきた女性ちほちゃん――友人でもある――が、手作りドーナツを差し入れてくださった。差し入れと言っても、スタッフを合わせたら四十人分超えのドーナツ。しかもサクフワでこれもまた美味しい。
もうすみずみにまで、慈空さんとショウドシマ クリエイティブのみなさんの配慮が行き届いていた。そこらの一日バスツアーよりも断然行き届いていた。機械的なところなど何ひとつなく、心がこもったおもてなし。チラシに書かれていた通り、「身体ひとつで来て」遍路体験ができる。これ、三千円でいいの? と思った。スタッフの半数くらいは知人友人なので余計によくわかるのだが、彼らは本当に小豆島が好きで、生真面目な若者たち(とはいえ四十代も多い)なのだ。
いや、配慮、おもてなしと呼ぶべきではない。あれは彼ら流の「お接待」なのだ。遍路体験を通して、小豆島を知ってほしい。美しい山、集落、海、すべてを体験してほしいという気持ちが溢れていた。また、集落の堂庵で、住民の方がミカンを配っていたり、飴をくださったりもした。堂庵の中には、腰かけて休む場所が設えてある。これが伝統的「お接待」。ありがたいことです。
記述が昼食の後に回ってとても恐縮だけど、最初に着いた西光寺で、肝心要の礼拝お作法の一通りを慈空さんからレクチャーしていただいた。礼拝がなければ遠足になってしまう。まずはお堂に入るときに鐘をつく。複数で礼拝する時にはひとりがつけばよい。住宅地の場合は小さめに。この鐘、礼拝を終えて札所を出る帰りについてはいけないのだ。これは帰り鐘、戻り鐘と言われるNG行為。玄関のチャイムのようなものだと覚えておけばよい。(つづく)
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.