2018/09/01
藤代冥砂 写真家・作家
『土 地球最後のナゾ』光文社新書
藤井一至/著
旅が好きである。自分がするのも、誰かの旅行記を読むのも好きである。
なぜ好きか? それは、知らないことを発見することが楽しいからに尽きる。なぜ新しい発見が好きなのか? それは、新しい自分になれるからである。自分を日々更新して、身も心も充実させることを生きることの楽しみ、意味と私は考えているからだ。
その先には、自分が得たことを誰かに渡す喜びがある。つまり旅とは、素敵なプレゼントを誰かに渡す準備のようなものだ。もうちょっと控えめに言うならば、仲立ち役を買ってでることである。
私のように写真や文章で伝えるのもいいだろうし、持ち帰った土産話を気のおけない仲間と飲みながら語るのも、素敵な仲立ちである。そこに表現などを持ち込まなくてもいい。
『土 地球最後のナゾ』と題したこの新書は、謎が「ナゾ」と記されている。学術的な色気のない論文調ではない中身が、ここに保障されているのに気づく人を見込んだかどうかは知らないが、読了人からすれば、タイトルのこの部分に、中身の雰囲気がしっかりと表されている。
著者の藤井一至さんは、おそらく「土」をとても地味で一般人の興味を惹きづらい対象だと捉えているのだろう。地球最後のナゾなのだが、所詮土である、と誰もが思うだろうと。
いたるところに散りばめられたユーモアのある記述は、科学の先生の親父ギャグに教室に失笑が漏れる空気のようで、微笑ましい痛みがあって、そこに好感が持てた。ああ、こんな先生がいたな、在学中よりも卒業アルバムの中でじわじわ効いてくる好人物、そんなことまで連想した。
地球上には、主に12種類の土があり、その研究をするために、世界中をスコップでほじくりまくるというのが、この本の肝である。私は、旅本とみなして読み進めた。永久凍土を求めて北極圏へ行き、未熟土を求めてタイ東北部へ行き、ポトゾルを求めてフィンランドへ、といった具合だ。主な12種類の土なのに、私は聞き覚えのない名前が多いことに驚いた。前述のポトゾルをはじめ、チェルノーゼム、オキシソルなど初耳だし、日本語訳の若手土壌、強風化赤黄色土、ひび割れ粘土質土壌とて、意味こそ解るが、やはり初耳なのだ。
私たちの足元のことなのに、こんなに知らないとは、地球最後のナゾのタイトルがぐっと近づいてくる思いがした。
思えば、私たちが食料としているほとんどのものは土がなければ存在できないものばかりだ。生物は水の中で誕生したが、土がなければ今日を生きながらえることはできない。そのことに気づきながら、読み進める本書は、土の知識の増量とともに、地球への知的冒険旅行となり、果ては生命や宇宙にまで想像力が及んでしまう。
私は鳥や花や樹の名前に詳しい男を、素敵だとする偏見を持っているが、そこに土を加えたいと思う。
訪れた先々の土を言い当て、そこから辿るその土地での人類の歴史的な所作について一考したり、未来を案じたり、慣れた手つきで地面に携帯スコップを入れ、土を取り出して匂いを嗅ぎ物思いに耽ったり、そんな男を素敵の列に加えようと思う。
このチェルノーゼムは一級品だ、と独りごちる男は、女性にとってどういう存在だろうか。おそらくセクシーなどと言ってもらえないだろう。だが、中にはチェルノーゼムという聞きなれない単語をさらっと使う男に、ただならぬ何かを感じる女性もいる。きっと、いる。
私は、そういう人と出会うために、チェルノーゼム、ポトゾル、オキシソルの三つぐらいは記憶しておこうと思う。
『土 地球最後のナゾ』光文社新書
藤井一至/著